シークレット・メッセージ

 
 母は、ほんなら、と言って歩き出した。そして数歩進んだところで振り向いて言った。

「辛いことがあったら、それがどうしたなんぼのもんじゃい、って唱えてみんか」

 私が笑うと、母は再び、ほんなら、と言って背中を向けた。そして、幾度も振り返りながら、ゆっくりと遠ざかっていった。私は玄関口に立って、故郷に帰っていく母の後姿をいつまでも見送った。満開の桜が東京での新生活を彩るように揺れていた。

 張り詰めていた緊張の糸が切れたのは、それから二週間ほどたった頃だ。慣れない一人暮らしや、大学生活のあわただしさが、押さえていた感情を爆発させた。

 「こんなところで一人で暮らしていくのはもういやや」と私が言うと、「毎日毎日文句ばっかりいうのはやめて」と母が叫んだ。

 私は乱暴に電話を切ると、怒りに任せて電話線を引き抜いた。そして四日間そのままの状態で放っておいた。

 五日目に線をつないだら、途端に呼び出し音が鳴り出した。受話器をとると、いきなり怒声が飛び込んできた。母は、ひとしきりわめいた後、「お父さんが会社を休んで今にも上京しようとしとったんやよ」とこぼした。父は私が事件に巻き込まれたのではないかと、気が気ではなかったようだ。

 「あんた、心配ばっかかけんといてや。あんたがいつも暗い声で電話してくるから、お父さん最近、食後のプリン、食べんげんよ。あんたが一人でご飯食べとる姿を想像したら胸がつまるんやって。そう言って大好きなプリンに手出そうとせんげんよ。そのうえあんたが何日も電話に出んもんやから、ここ数日プリンどころかご飯にもほとんど口つけてないげんよ」

 その言葉を聞いて、私は思わず天井を仰いだ。そしてそのままゆっくりと目を閉じた。無意識のうちに受話器を強く握り締めていた。

 その日から私は自分に一つの約束を課した。それは、今後一切、ある言葉を両親の前で口にしないということだった。

 高熱で寝込んだとき、バイトでミスをして怒られたとき、私はついこぼれ落ちそうになるその言葉を懸命に飲み込んだ。そして代わりに心の中でつぶやいた。「それがどうしたなんぼのもんじゃい」

 やがて大学生活も軌道に乗り、飲み会にサークルにと忙しくなるにつれ、実家に電話する回数も自然と少なくなっていった。
 たくさんの友達、広がっていく世界。めまぐるしく過ぎてゆく毎日は、上京初日から心の奥に住みついていた感情までをもすさまじい勢いで飲み込んでいった。

 入学前故郷の駅で、卒業したらきっとここに帰ってこようと誓った。それなのに、結局私は東京で就職した。

 入社を控えて再び東京に発つ日、両親が駅のホームまで見送りに来た。

 父は始終無言でタバコを吸っていた。母はおどけた口調で、歯みがけよ、料理しろよ、いい男つかまえろよと繰り返した。

 電車に乗り込む直前、私はさりげない口調で言ってみた。

 「就職したらあんまり帰ってこれんくなるね」そして、一呼吸おいてから、意識的に付け加えた。「さみしいな」
 それは、この四年間決して口にしなかった言葉だった。しばらくの沈黙の後、父が小声でつぶやいた。

 「うん、こっちも寂しくなるな」

 私は望みどおりの言葉を聞き出してほっとした。ほっとしたら少し気が緩んだ。
 
 電車が発車するまでの数分間、私たちは車窓を挟んで向かい合っていた。父は最後まで遠くに視線を向けたままだった。母が窓に、指で何か文字を書いていた。どうせつまらないことだろうと相手にしないでいたら、不満げな顔で窓を二、三度叩いていた。
 
 やがて電車が滑り出し、私はすぐに眠りについた。
 
 目が覚めたのは発車から一時間半ほどたった頃だ。まぶしい光の中で目を開けると、眼前に日本海が広がっていた。その美しさに身を乗り出した瞬間、ふいに日差しが強まり、その加減で、汚れた窓に透明な文字が浮かび上がった。
 
 『それがどうした、なんぼのもんじゃい』私は思わず目を細めた。そして窓に文字を書きつけていた母の、いたずらっぽい顔を思い浮かべた。

窓の外では遥かに広がる日本海が、春の日差しを受けて金色に輝いていた。