旧金沢刑務所跡
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私が最初に住んだのは、金沢の町でもかなりはずれのほうの、小立野という台地の隅のあたりだった。たぶん小立野五丁目だったと思う。市電を終点で降りて古めかしい木造の大学附属病院前を右へ折れ、グラウンドにそってすこし行くと如来寺というお寺の脇に出る。そこを道なりに左折し、さらに右へ曲って歩いてゆくと、突然、左手に異様に高い煉瓦塀が、夢の中の風景のように現われる。風雨にさらされて、やや黒ずんだ感じの煉瓦塀だった。(中略)
どんよりと低くたれこめた雨雲を背景に、正確な遠近法で続く煉瓦塀は、なぜか私にカフカの小説の中の風景を連想させた。それが明治四十年に作られた金沢刑務所の外界だと知ってからは、私の中にその煉瓦塀が金沢という町の一つの象徴的なイメージとしてこびりつき、ながく離れなかった。                                                                             五木寛之「金沢刑務所裏」
 昭和30年代半ば頃にトイレから逃げ出すという脱獄事件がありましたが、汲み取り式便所ならではの事件で、私などは怖さより別の意味で顔をしかめたくなるようなおぞましい感じを持ちました。2、3日後に卯辰山の麓で脱獄囚は捕まったと記憶していますが、五木寛之のエッセイにも書かれている刑務所の長い塀の続く道が遊び場の一つでもあった私たちには、その塀から今にも囚人が飛び出てくるような気がしてしばらくそこで遊ぶのを敬遠していたものです。
旧金沢刑務所跡は現在、金沢美術工芸大学・金沢大学医学部保健学科の敷地となっています。