下馬地蔵
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 元和9年(1623)加賀藩三代藩主前田利常公が、その夫人・珠姫の菩提所として天徳院を建立しましたが、藩祖利家公の金沢城築城の際にすでにこの地に作られていた地蔵堂に、白山権現を併せてまつったことがこの下馬地蔵の始まりといわれています。天徳院に参詣する際の下馬の位置とされたため、一帯を下馬と呼ぶようにもなったということです。
 400年来、商売繁盛・厄除招福の霊験ありと地区住民の信仰を集め、現在でも時折手を合わせるお年寄りを見かけますし、深夜に若い女性が熱心に祈っているのを見たこともあります。若い女性が願掛けするのには下馬地蔵さんも、担当が違うとちょっと戸惑っておられるかもしれません。しかし、その一途さが神さま仏様をも動かすかもしれないなんて思わされる迫力が感じられました。
 毎年夏の例祭には「奉納踊り」が盛んに行われていますが、商店街の真ん中で、しかも交通量の激しい位置で御馴染みの炭坑節などが流れる風情は、我々地区の住民の憩いにも、また誇りにもなっています。
 笠舞から旭町に抜ける道路が新設された際に、40mほど南に移設された事もあって、天徳院への入り口という昔日の面影はなくなりましたが、整備された周囲の広場は、奉納踊り以外にも、夏祭りや、いろいろなイベントの会場にも使われ、新しい町のシンボルゾーンともいった場所になっています。