亀坂
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金沢城築城の際、戸室山から切り出された石材が大勢の人たちによって城まで運ばれましたが、その沿道に当たるという事で、当店の前の道が石引通りと呼ばれるようになったと伝わっています。この石引通りにさしかかろうかという所に深い谷が存在しており、石材を運ぶためには、この谷を埋めて勾配をゆるくしなければならず、その工事の時に出来た坂に亀坂という名が付けられたということです。その名の由来は明らかではないが、戸室石を引くスピードがこの坂にさしかかると亀の歩みのように遅くなるためにそんな名がつけられたという説もあります。
 笠舞から上ってきてこの亀坂の位置で小立野に合流する坂がありますが、この坂があまりの急坂で、誰しも、ここをのぼる時はまるで亀のようなのろまな歩みになることから、いつしか亀坂と呼ばれるようになったのではという話もあるようですが、それは御小屋坂のことをさしております。我々地元の住民の間でもこの御小屋坂を亀坂と思い込んでいる人が多くみられ、この私も、この紹介文のための調査をするまではそうでした。

御小屋坂 上記の亀坂から、笠舞方面の一本松へ下る坂のことで、この坂の麓に藩政期、貧民救済を目的としたお救い小屋が作られていたことから御小屋坂とよばれました。