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 「うぇ、今日は魚か。嫌いなんだよな」康介の言葉を美佐子が鋭く遮った。

 「あなた、言いたいことがあるならもっと大きな声で言って」

 康介がおお恐、と言いながら食卓につくと、正太が待ちかねたように話しかけてきた。

 「きいてよ、父さん。今日漢字のテストで、『私立の学校』を、『わたくしたちの学校』って読んだ奴がいてさ・・・」

 思わずふきだすと、再び美佐子の声が飛ぶ。

 「正太、落ち着いてゆっくり話しなさい」

 康介は、美佐子の不機嫌そうな口元を見つめた。そして、隣にいる母親のヨネに視線を移した。彼女は我関せずといった風を装いながら目の端で美佐子の様子を伺っている。康介は瞬時に全てを悟った。また一波乱あったのだ。今度の喧嘩の原因はなんだろう。そのとき、テレビから陽気な音楽が流れてきた。


 夕食が終わり、ヨネが自室に引き上げると、早速美佐子の愚痴が始まった。

 「ねえ、お義母さんどうにかならない?夕方大声で呼ばれて行ったら、ちょっとそこの雑誌取ってだって。私、雨が降ってきたから急いで洗濯物を取り込んでるところだったのに。それで、さすがに頭に来て、それくらい自分で取って下さいって言ったら、あんたには、足腰の弱った年寄りを労わる気持ちがないのかですって」

 「まあまあ、おふくろも確かにもうかなりの歳なんだから。大目にみてやってよ」 

 「でも私、この前見たの。お義母さんが杖を忘れて、小走りで取りに戻ってくるところ。それどころか、きのうはその杖を振り回してコロを追い回してたの。お義母さんのスニーカーをコロがおもちゃにしてたから。杖なんかまるっきり必要ないじゃない。それに、コロがスニーカーで遊んでいるところだってめざとく二階の窓からみつけたのよ。だいたいあのスニーカーだって、私が買い換えたのに対抗して履きもしないのに買ってきて。私の靴の値段を聞き覚えて、わざとそれより千円高いのを選んだのよ・・・・・・」

 康介がほとんど聞いていないことに気付き、美佐子はそれ以上話すのを諦めたが、最後に強調するように付け加えた。

 「とにかく、お義母さんは、目も記憶力も足腰も、まだまだいたって健康ね」


 翌日康介が帰宅するなり、奥の部屋からヨネの声が聞こえてきた。「あたしゃもう、じいさんのそばにいきたいよ」

 続いてひときわ大きな美佐子の声。「いくなら、これ全部片付けてからいって下さい」

 康介が部屋に入ると、ヨネがすがるような視線を送ってきた。

 「あたしはちょっとバッグを借りようと思っただけなのに」 

 「なら、直接そう言って下さい。勝手にタンスを漁ってこんなに散らかして。だいたいお義母さん、人の服やらバッグやら全部記憶して、あれはどうした、これはどこやったって、細かくチェックするのはやめてほしいわ」

 康介はなんとかその場を治めると、ヨネが去るのを待って美佐子をたしなめた。

 「気持ちはわかるけど、何もそんな大声でまくしたてなくても。おふくろも寂しいもんだからかまってほしいんだよ」

 「わかってるわよ。わかってるけど、しかたないの。おかあさん最近、耳だけはほんとに遠くなってるみたいだから」

 「えっそう? 特に気が付かなかったけど」

 「気付かせないようにしてるみたいよ。いじっぱりだから本当に調子が悪くなったところは認めたくないんじゃない。目や足腰の弱さは必要以上にアピールしてるけど」

 美佐子は、だからあなたももう少し大きな声で話してあげなさいよ、と言い残して台所のほうへ行ってしまった。

 康介は、団欒の時間によく美佐子が口にする言葉を思い浮かべた。「もっと大きな声で言って」「落ち着いてゆっくりしゃべりなさい」

 あれは、機嫌が悪くて周囲にやつあたりしていたわけではなかったのだ。康介はふと昔のことを思い出した。両親に初めて美佐子を紹介した日のことだ。あんなお嬢様育ちの娘さんに家事などできるのか、経済観念もなさそうだし、と渋る父にヨネが言った。

 「あら、私に似て、さりげない気配りのできそうないいお嬢さんにみえるけど」

 

 その頃、美佐子は実家の母に電話を掛けていた。

 「また今日もむかついたの。だから狙ってた皮のコート、明日キャッシュで買ってやるわ。すぐそっちに送るからいつも通りばれないように保管よろしくね」